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東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)42号 判決

原告

ダイヤモンド・シヤムロツク・コーポレーシヨン

被告

特許庁長官

右当事者間の昭和57年(行ケ)第42号審決(特許出願拒絶査定不服審判の審決)取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

特許庁が、昭和56年10月6日、同庁昭和53年審判第6198号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1973年(昭和48年)1月17日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和48年9月11日、名称を「隔膜被覆陰極及びその製造法」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和48年特許願第101747号)をしたところ、昭和52年12月7日拒絶査定を受けたので、昭和53年4月22日これを不服として審判を請求し(昭和53年審判第6198号事件)、同年11月17日特公昭53―43149号特許出願公告公報をもつて出願公告されたが、特許異議の申立てがなされ、昭和56年10月6日、「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は、同年11月14日原告に送達された(出訴期間として3か月附加)。

2  本願発明の要旨

1 石綿繊維の表面上にこの繊維といつしよに結合している実質的に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆を有している石綿繊維からなる付着性かつ凝集性で寸法安定性のある一様な隔膜が、有孔陰極の陰極活性表面上に直接沈着されており、該ポリマーは石綿繊維と該ポリマーとの合計重量に対して1.0~70重量%の量で存在していることを特徴とする隔膜被覆陰極。(以下「本願第1発明」という。)

2(a) 繊維状石綿と電解槽環境に機械的かつ化学的に耐える実質的に繊維状の熱可塑性弗素系ポリマーとのスラリーを形成し(該ポリマーは石綿繊維と該ポリマーとの合計重量に対して1.0~70重量%の量で存在する)、

(b) 被覆しようとする陰極をこのスラリーの中に浸漬し、真空手段によつて陰極上に石綿とポリマーの均一な混合物を沈着させ、

(c) 被覆した陰極をスラリーから取り出し、該ポリマーが溶融、流動して隣接の石綿繊維をこのポリマーによりいつしよに結合するのに充分であるが、石綿繊維表面全体に拡がつた連続的なポリマー被覆を形成することはない条件下でこの被覆陰極を加熱処理し、

(d) この隔膜被覆陰極を実質的な室温に冷却することによつて、石綿繊維の表面上に実質的に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆を形成して電解槽運転条件下で寸法安定性のある隔膜を得る、という工程を特徴とする塩素―アルカリ電解槽用の隔膜被覆陰極の製造法。(以下「本願第2発明」という。)

3  本件審決理由の要点

本願第1発明の要旨は、前項1記載のとおりと認められるところ、ドイツ連邦共和国特許公開明細書第2020590号(昭和46年2月16日特許庁資料館受入れ。以下「引用例」という。)には、所望量の樹脂バインダーで処理された石綿繊維からなる隔膜を使用すること、該隔膜の樹脂バインダーとして弗素系ポリマーである「ポリフロロ炭化水素」を使用すること、樹脂バインダーの使用形態としてラテツクス、分散体、溶液、繊維、ピグメント等があること、及び該隔膜をデポジツト方式により電解槽の網状陰極上に直接沈着させること、を内容とする発明が開示されている。

そこで、引用例に記載された発明と本願第1発明とを対比すると、引用例に記載された発明にあつても、石綿繊維の表面上にこの繊維といつしよに結合している弗素系ポリマーの被覆を有している石綿繊維からなる隔膜が有孔陰極の陰極活性表面上に直接沈着されている隔膜被覆陰極を一態様として含むものである。そして、「付着性でかつ凝集性で寸法安定性のある一様な隔膜」とすることは、この種の隔膜被覆陰極の隔膜にあつて通常要求される性質であり、引用例に開示された発明にあつてもその隔膜は、程度の差こそあれこのような性質を備えているものと認める。また、樹脂バインダーの石綿繊維に対して占める割合についてみると、引用例にはポリマー含有量が石綿繊維とポリマーとの合計重量に対して1.0~70重量%の範囲にあるものが示されている。そうであるとすれば、本願第1発明と引用例に開示された発明との対比に当たつて、検討を要する事項は、本願第1発明における「実質的に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆」であると認める。よつて、この点について検討する。

(1)  「実質的に繊維状」について

請求人(原告)は、引用例に繊維状の弗素系ポリマーを樹脂バインダーとして用いることの開示があることを認めながらも、繊維状ポリマーが分散体等他の使用形態と比較していかなる差異があるかについては、全く開示されておらず、引用例からバインダーとして繊維状ポリマーが最適であることを見出すことは当業者といえども容易に想到できるものではない旨述べている。しかしながら、繊維状の弗素系ポリマーを樹脂バインダーとして用いることの開示がある以上、それを開示する記載が繊維状のものをラテツクス、分散体、溶液、ピグメント等と並列的に扱つているものであるとはいえ、繊維状の弗素系ポリマーを樹脂バインダーとして実際に用いることは、引用例の開示に従つて何ら発明力を要せずに行われるものであると認める。そして、繊維状ポリマーがバインダーとして最適であるとの知見は、その引用例の開示に従つた行動の結果として生じるものであると認める。すなわち、この点における新規性の存在を認めることはできない。

(2)  「非連続的な」について

弗素系ポリマーが非連続的な被覆となつていることに関し、本願発明の明細書の発明の詳細な説明に、「非連続的(とぎれとぎれ)であるので、石綿繊維のもつ望ましいイオン交換性及び水圧透過性の大部分はなお保持されている。」と記載されている。しかしながら、このようなことは、得られたものが隔膜被覆陰極の隔膜として用いられる以上、その隔膜に所与の性質をもたせるうえで通常要求されるところであり、また、引用例に開示された発明における隔膜にあつても、弗素系ポリマーがバインダーとして働いていることから、実質的に非連続的な被覆を形成しているものと認める。すなわち、この点については、引用例に相応の記載がないというにとどまるものと認める。

(3)  「溶融」について

弗素系ポリマーを石綿繊維に固定する手段として、本願第1発明は、溶融を採用しているが、引用例では乾燥を具体例として掲げている。しかしながら、樹脂バインダーを繊維の固着に使用するとき、繊維内部に樹脂バインダーを分散させて全体を加熱し、バインダーを繊維表面に溶着させることは、一般的技術として普通に知られていることである。そして、この加熱による固定を引用例に示される乾燥による固定に代えることは、当業者が容易に発明をすることができた固定手段の置換であると認める。なお、請求人(原告)は、引用例には本願発明の最も重要な点である『熱処理によつて繊維状の弗素系ポリマーを溶融、流動させ、溶融流動したポリマーを石綿表面において石綿繊維をその交差地点で一緒に融着させる。』という技術的思想に関しては全く開示されておらず、本願発明と引用例に記載の技術とは根本的に相違すると述べている。しかしながら、ここで述べられた最も重要な点は、既に要旨認定したとおり特許請求の範囲1に記載されておらず、また、その最も重要な点を内容とする相応の記載も特許請求の範囲1に記載されていない。したがつて、この点における請求人(原告)の主張を採ることはできない。

以上の理由により、本願第1発明は、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。よつて、結論のとおり審決する。

4  本件審決を取り消すべき事由

本件審決は、本願第1発明及び引用例記載の技術的事項を誤認した結果、本願第1発明と引用例記載の発明とを対比するに当たり、両者の技術的思想、構成及び作用効果上の差異を看過し、ひいて、本願第1発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとの誤つた結論を導いたものであり、この点において、違法として取り消されるべきである。すなわち、

本願第1発明は、塩化ナトリウム水溶液を電気分解して塩素ガスと苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を製造する方法に用いられる隔膜式電解槽に使用する石綿繊維の隔膜被覆陰極に関する発明であつて、従来の石綿繊維の隔膜被覆陰極には、電解槽を運転し電極に負荷がかかると多数の単繊維からなる石綿の束が電解前においては緊密であつたものが、電解中に更に開綿し、より細かい石綿の束に分かれて分離・膨張して膨潤し(約8倍にまで膨潤する。)、陰極と陽極のすき間が埋まり、導電度の低い膨潤した石綿のために電解電圧(電解に必要な電圧)が高くなり、また、隔膜自体が膨潤のため陽極に近づき、陽極表面で発生する塩素ガスにより摩滅損傷するという欠点を有していたことから、本願第1発明は、従来の石綿繊維隔膜の有するイオン交換性、水圧透過性を保持しつつ、右の欠点を克服して、隔膜の膨潤を防ぎ、機械的性質を増大した隔膜被覆電極を提供することを目的として、本願発明の明細書の特許請求の範囲1記載のとおりの構成を採用したものである。これを詳述すると、本願第1発明は、石綿繊維のバインダーとして繊維状の弗素系ポリマーを用いているが、繊維状の弗素系ポリマーは、融点を相当程度越える温度に加熱しても、液化してその形状を失うことがなく、溶融した状態でなお固体の状態における形状を保持するが、溶融状態において他の物、例えば、石綿繊維又は同じポリマーの他の繊維に接触すると、その接触部分だけが接触圧によつて容易に変形し、石綿繊維の表面を被覆するように部分的に流動を起こすという特性を有しており、繊維状の弗素系ポリマーを石綿繊維に加え、該ポリマーか溶融、流動して隣接の石綿繊維を該ポリマーによりいつしよに結合するのに充分であるが、石綿繊維表面全体に拡がつた連続的なポリマー被覆を形成することはない条件で加熱すると(加熱の程度が過大で溶融した弗素系ポリマーが容易に流れ出して、石綿繊維を完全に被覆してしまうと、石綿繊維隔膜の長所が失われてしまう。)、繊維状の弗素系ポリマーは石綿繊維との接触部分において部分的に流動して接触点付近の石綿繊維だけを被覆するのであつて、本願第1発明の「石綿繊維表面上にこの繊維と実質的に繊維状の弗素系ポリマーがいつしよに結合している」という構成は、石綿繊維の束に繊維状の弗素系ポリマーが溶融被覆を形成する状態で結合していることを表しており、これを隔膜の構成として述べれば、繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維の非連続的な溶融被覆をなしていることになるのである。本願発明の明細書の特許請求の範囲1に「非連続的な溶融被覆」とは、単なる「被覆」一般ではなく、右に述べたとおり、繊維状の弗素系ポリマーを前記加熱条件で加熱して初めて生じる状態で、繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維の表面に接したところで溶融し、石綿繊維をその接触点において非連続的に被覆した状態を指しており、ここでの「非連続」の具体的な意味は、弗素系ポリマーの溶融被覆が連続的でない状態、つまり弗素系ポリマーが石綿繊維の表面と接した部分の近辺だけで部分的流動を生じて形成された被覆の状態を表現しているのである。そして、本願第1発明の隔膜は、前記構成を採用したことにより、隔膜の透水性を保持しつつ、その機械的強度を増大し、従来の隔膜被覆電極に比べ著しく長時間の塩素―苛性ソーダ電解に耐えられ、塩素ガスによる損傷を受けにくく、負荷がかかつたときの隔膜の膨潤が元の厚みの25%以下に抑えられることから、電解電圧にかなりの利点を生じるという作用効果を奏し得るほか、石綿繊維のスラリーから石綿繊維隔膜を有孔陰極表面上に直接沈着して形成するというデポジツト法による従来の隔膜では、真空沈着工程において隔膜が部分的に金網陰極を貫通して陰極室中に引き込まれていたのに対し、本願第1発明による隔膜は実質的に繊維状の弗素系ポリマーの使用により、そうしたことが実質的になくなり、その結果、陰極の水素ガス放出が効果的に行われるようになるという作用効果を奏し得るものである。

一方、引用例記載の発明は、本願第1発明の隔膜被覆陰極が用いられる塩素―苛性ソーダ反応に比べて反応条件が緩やかなオレフインからオレフイン酸化物を電気化学的に製造する方法に関する発明であつて、隔膜式電解槽に用いる高重合体バインダーで固定された石綿繊維隔膜の開示があるが、右発明における石綿繊維と高重合体バインダーとの「結合」の具体的、物理的意義は本願第1発明におけるポリマーと石綿繊維との「結合」の具体的、物理的意義と同じではない。すなわち、本願第1発明にあつては、「結合」は繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維の表面において非連続的に溶融被覆をなした状態での結合であるのに対し、引用例記載の発明における「結合」は、ポリマーの溶融被覆によるものではなく、石綿繊維とポリマー繊維の「からみあい」による結合にすぎない。また、引用例記載の発明においては、ポリマーを石綿繊維に加えることにより、溶融被覆ではなくて、単なるからみあいの効果として隔膜の強度を増加するものであるから、ポリマーの使用形態は繊維状のものに限定されることはなく、引用例では、ラテツクス、分散体、溶液、ピグメントが並列的に記載されているのに対し、本願第1発明では、石綿繊維表面に連続的な被覆ではなく、非連続的溶融被覆を形成するために、実質的に繊維状の弗素系ポリマーを選択したのであつて、引用例と用途、使用態様を異にし、異なる効果を目的として実質的に繊維状の弗素系ポリマーの使用を選択したことは、引用例から発明力を要せず行われたものとはいえない。更に、本件審決理由中には、「引用例に開示された発明における隔膜にあつても、弗素系ポリマーがバインダーとして働いているから、実質的に非連続的な被覆を形成している」との認定があるが、本願第1発明において「非連続的な」とは前述のとおり、弗素系ポリマーの溶融被覆の状態を述べたものであるのに対し、引用例には弗素系ポリマーの溶融被覆についての開示はないのであつて、本件審決の右の認定は、根拠のない推論である。また更に、引用例には、「バインダーで固定された隔膜は、例えばその強度を増大するために、後処理をすることができる。数多くの可能な後処理の中から熱処理と加熱・加圧処理だけを例としてあげる。」とポリマーで固定された隔膜を後処理として加熱処理することが開示されているが、ここでの加熱処理とは、加熱乾燥処理であり、石綿繊維から溶媒を除去するもので、ポリマー自体を溶融することを目的とするものではない。このことは、引用例記載の実施例には、ポリエチレンのバインダーに対し、真空乾燥器中摂氏95度で15分間加熱処理が行われたことが記載されているが、この温度はポリエチレンの融点を下回るものであること(ポリエチレンの融点は、その分子量や密度によつて異なるが、最も低いものでも摂氏115度を下らない。)、更には、引用例に対応するアメリカ合衆国特許明細書第3,723,264号には、弗素系ポリマーを使つた実施例が1つ記載されているが、右実施例で使用された弗素系ポリマーであるポリテトラフルオロエチレンの融点は327℃であるのに対し、右実施例では116℃で15分間の加熱処理が行われているにすぎないことからも明らかである。そして、バインダーで固定された隔膜についての付加的な処理である「後処理」が数多く存在することは、何らバインダーによる特別な固定の形態を示唆するものではない。したがつて、繊維状の弗素系ポリマーを加熱し、非連続的溶融被覆を形成することは、引用例にいう「後処理」に当たらない。これに対し、本願発明における加熱は、繊維状の弗素系ポリマーを隣接の石綿繊維をいつしよに結合するには充分であるが、石綿繊維表面全体に拡がつた連続的なポリマー被覆を形成することはない温度まで行い、非連続的な溶融被覆を形成することを内容とするものである。そして、塩素―苛性ソーダ電解において示される本願第1発明の顕著な効果は、この非連続的な溶融被覆を形成する加熱処理によつて初めて得られるものである。すなわち、たとい本願発明の実施例1の方法で隔膜を作製しても、95℃の加熱処理のみを行い、370℃における1時間の加熱処理を行わないと、そのような隔膜は塩素―苛性ソーダ電解に供された場合、隔膜が膨潤し、本願第1発明の隔膜のような好結果が得られないのである。このように塩素―苛性ソーダ電解において顕著な効果を得るうえで重要な本願発明の熱処理は、引用例に基づいて容易に発明をすることができるものとはいい得ない。被告は、使用材料として弗素系ポリマーを選択すれば、使用目的がバインダーであるところから、当業者が容易に溶融処理という処理方法に想到し得ると主張するが、この主張が誤りであることは、前述のとおり、引用例に対応するアメリカ合衆国特許第3,723,264号明細書の実施例12には、弗素系ポリマーであるポリテトラフルオロエチレン(テフロン)をバインダーとして使用しているにもかかわらず、溶融処理をしていないことからも明らかであり、同じ弗素系ポリマーでも、そのいかなる性質をいかに利用するかがポイントであり、開示された発明が全く利用していない(予想していない)性質を利用した、構成及び作用効果の異なる新たな発明は、仮に材料とその使用目的が同一であつても、容易に発明し得るものとはいい得ないのである。また、被告は、電解用隔膜にあつて、弗素系ポリマーと石綿繊維からなる成形体を弗素系ポリマーが半溶融状態になる温度に加熱することは、ドイツ連邦共和国特許出願第2140714号明細書(乙第1号証)に示されたとおり、既に知られた技術である旨主張しているが、乙第1号証には隔膜を弗素系樹脂の分散液に浸して弗素系樹脂が隔膜の組織の下にシンターされるように熱処理することが記載されているのであつて、これは本願発明における実質的に繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維と接触した点で溶融流動し、非連続的溶融被覆を形成するのには充分であるが、石綿繊維表面全体にひろがつたポリマー被覆を形成することはない条件下での加熱処理とは全く異なる。乙第1号証の隔膜では弗素含有樹脂を分散した液に無機繊維を浸漬し、無機繊維に樹脂を含浸させ、樹脂の融点から100℃も高い温度で加熱することにより、弗素含有樹脂が無機繊維全体に浸透し、硬化する。これは、本願発明のように実質的に繊維状の弗素系ポリマーと石綿繊維が接触する地点だけで非連続的溶融被覆を形成しているのとは全く異なつた状態であつて、本願発明のような特別の条件下での加熱処理が一般的技術として普通に知られたものでないことは明らかである。

以上のとおり、本願第1発明の隔膜は、引用例記載の隔膜とは異なる技術的思想に基づくものであり、本件審決の「繊維状の弗素系ポリマーを樹脂バインダーとして用いることの開示がある以上、それを開示する記載が繊維状のものをラテツクス、分散体、溶液、ピグメント等と並列的に扱つているものであるとはいえ、繊維状の弗素系ポリマーを樹脂バインダーとして実際に用いることは、引用例の開示に従つて何ら発明力を要せずに行われるものであると認める。」との認定並びに「引用例に開示された発明における隔膜にあつても、弗素系ポリマーがバインダーとして働いていることから、実質的に非連続的な被覆を形成しているものと認める。」との認定は、引用例の記載内容を誤認したものといわざるを得ない。

第3被告の主張

被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

1  請求の原因1ないし3の事実は、認める。

2  同4の主張は、争う。本件審決の認定判断は、正当であつて、原告主張のような違法の点はない。

1 引用例には、石綿繊維を繊維状の弗素系ポリマーのバインダーで固定し、網状陰極に直接沈着させた隔膜が記載されている。そして、当該バインダーが「石綿繊維の表面上にこの繊維といつしよに結合している」ことは、引用例の「高重合体のバインダーで固定した石綿」との記載から明らかであり、また、その被覆が「非連続的な被覆」であることも、引用例の「石綿の電気的、流体力学的性質を損なうことなく」との記載から明らかである。ちなみに、ある物質を接着剤で固定する場合、その物質が接着剤と結合する、換言すれば、被覆されることは当然であり、これなくしては「固定」という現象が生じないし、引用例記載の隔膜も、石綿がもつ性質を利用するのであるから、石綿繊維が弗素系ポリマーの連続被覆によつて被われたのでは所与の目的が得られないことは明白であつて、そこにおける被覆は非連続的であるというほかはない。更に、引用例には、バインダーに応じて必要な場合には、熱処理又は加熱・加圧処理を行うとよい旨の記載があり、かつ、弗素系ポリマーは、耐熱性が優れるものの非粘着性で、単に乾燥程度の加熱処理をしただけでは、所与の耐膨潤性の改善は得られないのであるから、このような性質をもつ弗素系ポリマーをバインダーとして使用するとき、弗素系ポリマーを溶融状態にする加熱処理を行うのは通常採用されている手段である。この点は乙第1号証(ドイツ連邦共和国特許出願公開第2140714号明細書)にあつても、弗素含有樹脂を融点以上の温度に加熱しており、乙第2号証(昭和44年5月28日株式会社シーエムシー発行に係る週刊「世界の化学工業」7巻22号)にあつても、「ポリ四弗化エチレン」を「熱軟化性粉末状接着剤」として扱つていることからも明らかである。以上の事実によれば、引用例の前記記載にいう「熱処理又は加熱・加圧処理」に弗素系ポリマーを溶融処理することを読み込むことは、バインダーとして弗素系ポリマーを選択したことに応じて、当業者にとり容易であるといわざるを得ない。なお、この種の不織布の後処理として加熱・加圧処理を行うことは、普通に用いられている強化手段であり、前記乙第2号証には、「繊維状接着剤を他の繊維に混ぜてウエブを形成し、これに加熱または膨潤剤処理を施してウエブを結合させる。ウエブ中のそれぞれの繊維の交点で接着され、また接着点が少ないため、このようにして得られた不織布は柔軟で多孔質である。」との記載があつて、繊維状接着剤の加熱処理が接着のための加熱処理、すなわち、少なくとも交点での部分的溶融を伴う加熱処理をも含むものであることを明らかにしている。そして、更に、引用例に示された高重合体の相当数が同号証の「水に可溶な接着剤」、「有機溶剤に可溶な接着剤」、「低融点型繊維状接着剤」、「溶剤膨潤型繊維接着剤」の項に掲げられているばかりか、弗素系ポリマーの一種である「ポリ弗化ビニル」、「ポリ四弗化エチレン」も接着剤として掲げられている。この点に関して、原告は、引用例記載の実施例では、ポリエチレンのバインダーに対し、真空乾燥器中95℃で15分間加熱処理が行われているが、この温度はポリエチレンの融点を下回るものである(ポリエチレンの融点は、その分子量や密度によつて異なるが、最も低いものでも115℃を下らない。)旨、また、引用例に対応するアメリカ合衆国特許明細書第3,723,264号においては、唯一の弗素系ポリマーの実施例があるが、そこで使用されたポリテトラフルオロエチレンの融点が327℃であるところ、116℃で15分間の加熱処理が行われているにすぎないことからも、引用例における加熱処理とは、加熱乾燥処理であり、石綿繊維から溶媒を除去するもので、ポリマー自体を溶融するものでないことは明らかである旨主張しているが、右実施例で使用されているバインダーは、ポリエチレンであつて、材質の相違からして、右実施例における具体的処理条件をそのまま弗素系ポリマーにあてはめることができないのはいうまでもなく、また、引用例に対応するアメリカ合衆国特許明細書第3,723,264号においては、弗素系ポリマーであるポリテトラフルオロエチレンをバインダーとして使用しているにもかかわらず、溶融処理していないものが実施例12として掲げられているが、(1)引用例の「例えばラテツクス、分散体、溶液、繊維、ピグメントである。」(第4頁第1行及び第2行)との記載及び「バインダーで固定された隔膜は、例えばその強度を増大するために、後処理をすることができる。数多くの可能な後処理の中から熱処理と加熱・加圧処理だけを例としてあげる。」(第4頁第6行ないし第10行)との記載に対応する記載が右アメリカ合衆国特許明細書にはなく、(2)右アメリカ合衆国特許明細書の実施例12に対応する記載が引用例にはない。ところで、本願発明の容易性を判断するに当たつて問題となつている事項は、右(1)のアメリカ合衆国特許明細書第3,723,264号に記載されていない引用例の記載をどのように解釈するかということであるから、右アメリカ合衆国特許明細書に溶融処理をしない例が掲げられているといつても、それは、本願発明の容易性に関する判断に何らの影響を及ぼすものでもない。更に、電解用隔膜にあつて、弗素系ポリマーと石綿繊維からなる成形体を弗素系ポリマーが半溶融状態になる温度に加熱することは、前記乙第1号証に示されたとおり、既に知られた技術であり、引用例でいう「数多くの可能な後処理」の一形態として、弗素系ポリマーを半溶融状態にする手段を採用することは、当業者が容易に発明をすることができた弗素系ポリマー固定手段選択上の問題にとどまる。そして、樹脂バインダーを繊維の固着に使用するとき、繊維内部に分散させて全体を加熱し、バインダーを繊維表面に融着させるという技術は慣用技術であり、隔膜被覆電極にも使用されている。

2 そこで、本願第1発明と引用例記載の発明の隔膜とを対比すると、本願第1発明は、樹脂バインダーとして弗素系ポリマーを選択し、かつ、その使用形態として繊維状のものを選択した場合の引用例の発明において、任意工程の加熱処理、すなわち、溶融処理を必須の工程として取り込んだものに相当するものであるところ、前記1で述べたところを斟酌すれば、このような電解用隔膜にあつて、バインダーとして弗素系ポリマーを選択し、右ポリマーを半溶融状態になる温度に加熱する手段を採用することは、当業者が容易に発明をすることができた弗素系ポリマー固定手段選択上の問題にとどまるものといわざるを得ない。したがつて、本願第1発明は、引用例の発明の各要件を特定のものに選択し、組み合わせた点で、引用例とは別発明を構成しているとしても、前述のとおり、その選択、組合せについて進歩性があるものとみることはできない。なお、本件審決は、後処理である加熱処理が実施例に例示された乾燥処理のみである旨認定しているが、引用例には石綿繊維を繊維の形態の弗素系ポリマーで固定し、網状陰極に直接沈着させた隔膜が記載されており、かつ、両繊維の固定は、付加的な後処理である加熱処理又は加熱・加圧処理によつても行い得る旨が記載されていることからして、この加熱処理は本願発明の明細書の特許請求の範囲1の「溶融」をも包含する上位概念の処理であると推定することができるのであるが、本件審決は、引用例記載の発明における加熱処理を実施例に例示された乾燥処理のみである旨不必要に狭く誤認し、上位概念で把握しなかつたため、本件審決の論旨が一部不明確となつた点はあるが、本願第1発明の発明の容易性は前述のとおり明らかであつて、結論において、本件審決に誤りはない。

第4証拠関係

本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

(争いのない事実)

1  本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いのないところである。

(本件審決を取り消すべき事由の有無について)

2 本件審決は、次に説示するとおり、本願第1発明及び引用例記載の技術的事項を誤認した結果、本願第1発明と引用例記載の発明とを対比するに当たり、両者の技術的思想、構成及び作用効果上の差異を看過し、ひいて、本願第1発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとの誤つた結論を導いたものであり、この点において、違法として取り消されるべきである。

1  前示本願発明の要旨に成立について争いのない甲第2号証(本願発明の公告公報)及び第3号証(昭和55年4月15日付手続補正書)を総合すれば、本願第1発明は、隔膜被覆陰極に関する発明で、本願発明の明細書の発明の詳細な説明の項には、石綿繊維のスラリーを有孔陰極上に直接沈着させて形成した隔膜被覆陰極は、負荷がかかると石綿が相当に(800%まで)膨潤して、陽極と隔膜との隙間が埋まり、槽電圧が増大するとともに、隔膜自体も膨潤により近づいた陽極表面で発生する気体により摩滅されるという重大な欠点をもつていたことから、従来は、この欠点を解消するため、予め形成した石綿隔膜をモノマー又はポリマー溶液中に含浸し、その後モノマーをその場で重合させるか、あるいはポリマーを硬化させる方法等が採られていたが、そのような方法では、石綿繊維の表面上に連続的なポリマーの被覆が形成されるため、石綿繊維のもつイオン交換性及び透水性という利点をなくしてしまうという欠点があり、また、予め形成した隔膜を粒子状ポリマーで含浸する試みもあつたが、この方法は石綿のマツトがその表面上にポリマーの粒子を濾過分離するため良くないことから、本願第1発明は、右従来技術の欠点を解消するため、前示本願発明の要旨1記載のとおりの構成(特許請求の範囲1の項の記載と同じ。)を採用し、これにより、前記欠点を解消し、石綿繊維のもつイオン交換性及び透水性という利点の大部分をもつとともに、寸法安定性があり、塩素ガスによる損傷を受けにくく、負荷がかかつたときの膨潤が元の厚みの25%以下に抑えられ、電解電圧にかなりの利点を生じ、従来の隔膜被覆電極に比べ著しく長時間の塩素―苛性ソーダ電解に耐えられる等の顕著な作用効果を奏し得るものであることを認めることができる。ところで、本願第1発明の構成中隔膜の構成については、「石綿繊維の表面上にこの繊維といつしよに結合している実質的に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆を有している石綿繊維からなる」ものとされているが、前掲甲2号証中の本願発明の特許請求の範囲2の記載並びに発明の詳細な説明の項中、「本発明は寸法安定性のある石綿隔膜に関し、この隔膜は、石綿繊維―実質的に繊維状の弗素系ポリマーのスラリーで電解槽の有孔陰極に直接被膜した後、この実質的に繊維状の熱可塑性弗素系ポリマーを溶融することにより形成される。」(第1頁第2欄第28行ないし第32行)、「別の提案としては、あらかじめ形成した石綿隔膜をモノマーまたはポリマー溶液中に含浸し、その後モノマーをその場で重合させるか或いはポリマーを硬化させる。しかし、このような技法は石綿繊維の表面上に連続的なポリマーの被覆をつくることになるので、石綿繊維のもつイオン交換性及び水透過性という利点をなくしてしまう。」(第2頁第3欄第15行ないし第21行)、「石綿繊維表面上の本発明のポリマー被覆は非連続的(とぎれとぎれ)であるので、石綿繊維のもつ望ましいイオン交換性及び水透過性の大部分はなお保持されている。」(第3頁第5欄第3行ないし第6行)、「次の工程は、弗素系ポリマーをその使用熱可塑性弗素系ポリマーの種類に応じた温度で溶融する工程である。……ポリマーが溶融流動するには充分であるが重合体物質のかなりの分解を引き起すには不充分な温度である。……使用した熱可塑性弗素系ポリマーの特性のために、石綿繊維の表面上にこうして実質的に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆が得られ、この被覆は一般に隣接の石綿繊維をその交差地点でいつしよに融着する作用をする。さらに、繊維状の弗素系ポリマーの使用により融着したポリマー格子ができ上り、これはからみあい効果を与える。」(第4頁第7欄第19行ないし第35行)等の記載を総合すれば、叙上隔膜の構成についての記載の意味するところは、隔膜は、石綿繊維と繊維状の弗素系ポリマーとが混在したものであつて、石綿繊維と繊維状の弗素系ポリマーとの接触部分で繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維を溶融被覆して結合しており、それによつて石綿繊維表面上には繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆が形成されているという構造をいうものと解され、この構造は、特許請求の範囲2記載の方法により得られること、そして、このような隔膜の構造を採るときは、石綿繊維と繊維状の弗素系ポリマーとの接触部において石綿繊維の表面上に形成された該ポリマーの非連続的な溶融被覆でその部分の石綿繊維が結束されるから、使用時に石綿織維が膨潤する不都合を石綿の利点を損なうことなく解消することができ、前認定の顕著な作用効果はこの隔膜の構造に由来することを認めることができる。

2  他方、成立に争いのない甲第5号証(引用例)によれば、引用例は、昭和46年2月16日特許庁資料館受入れ(この点は、原告の明らかに争わないところである。)に係る名称を「オレフインからオレフイン酸化物を製造する方法」とする発明のドイツ連邦共和国特許公開明細書第2020590号であつて、その特許請求の範囲1には、「陽極と陰極及びその間の隔膜から構成された装置において、ハロゲン化金属を含む水性電解質の電気分解によつてハロゲンを生成し、電解液中に溶解している上記ハロゲン又はその加水分解生成物をオレフインと反応させて対応するハロヒドリンを生成し、その後ハロヒドリンを装置内に発生している水酸イオンで脱ヒドロハロゲン化してオレフイン酸化物を得るという、オレフインからオレフイン酸化物を電気化学的に製造する方法において、当該隔膜を高重合体バインダーで固定したアスベストから構成することを特徴とする方法。」との記載があり、右明細書には、右隔膜に関して、「石綿は、……当該方法のための隔膜としては基本的に適している。しかし、石綿から構成した隔膜は、とりわけこの方法の電気化学的装置に使用した場合の湿潤状態では、機械的強度が貧弱で、わずかの時間で破壊されるに至るので、この方法を長時間にわたり満足な状態で行うことは不可能である。今回発見されたことは、……その隔膜を高重合体のバインダーで固定した石綿で構成すると、特に有利な態様で実施できることである。本発明の方法の利点は、高重合体バインダーで固定された石綿製隔膜は良い耐水性を有するので、本発明による方法の利点は、高重合体バインダーで固定された石綿製隔膜は良い耐水性を有するので、本発明による方法の条件下ではバインダーのない石綿隔膜に比べて、石綿の電気的、流体力学的性質を損なうことなく、本質的に長い寿命を有することにある。本発明による方法の別の利点は、本発明による隔膜を使用した場合には、何週間もの運転によつても使用結果が低下しないことである。」(第2頁第1行ないし第31行)と高重合体バインダーで固定したアスベストから構成された隔膜を使用すると、高重合体バインダーで固定していない石綿繊維を使用した場合に比べて長時間にわたり満足な状態でオレフインからオレフイン酸化物を電気化学的に製造することができる旨の記載があり、右隔膜の固定用バインダーの素材について、「本方法に使用する隔膜の固定用バインダーとしては高重合体、例えばポリオレフイン(例えば、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリブチレン)、ポリフルオロ炭化水素、ポリエステル、ポリスチロール、ポリアクリルニトリル、ポリアクリレート、ポリビニル化合物(例えば、ポリ塩化ビニル、ポリビニルプロピオン酸、ポリビニルアセテート)、ブタジエンアクリルニトリル―重合物、ブタジエンスチロール重合体、ポリクロロプレン、ポリイソブチレン等を使用する。」(第3頁第14行ないし第22行)旨、また、使用する高重合体バインダーの形態について、「バインダーとして使われる高重合体は、各種の形態で使用することができる。例えば、ラテツクス、分散体、溶液、繊維、ピグメントである。とりわけ、適切な手段によつて石綿繊維の上に細かく分布して沈澱させた陰イオン又は陽イオン性の分散体を使用するのが有利である。」(第3頁第28行ないし第4頁第5行)旨の記載があるほか、右隔膜の製造方法に関して、「バインダーで固定された隔膜は、例えばその強度を増大するために、後処理をすることができる。数多くの可能な後処理の中から熱処理と加熱・加圧処理だけを例としてあげる。」(第4頁第6行ないし第10行)旨の記載に続いて、「本発明の方法で使用される高重合体バインダーで固定された石綿製隔膜の多数の製造方法の代表」として、ブルーアスベストの密度0.5ないし1重量%のスラリーに、例えば35%の陽イオンポリオレフイン分散体等のバインダー物質を添加し、必要ならば、バインダーの凝固及びアスベスト繊維上に微細分布させるため流酸アルミニウム、ナトリウムアルミナそのほか、好ましくは陽イオン性沈隆剤を使用し、その後抄紙してペーパーを製作し、バインダーに応じて必要の場合は熱処理又は加熱・加圧処理を行うという方法(第4頁第15行ないし第5頁第5行)並びに実施例として、フアイバーの平均の長さを約4mmとしたブルーアスベストの濃度0.7%のスラリーに35%のポリエチレン分散体の陽イオン水溶液を添加し、次いで、ポリエチレンの分散体を、5%(フアイバーに対し)の硫酸アルミニウム(10%水溶液)を加えて沈析させ、実験用シート製造機を用いて面積当りの重量350g/m2のペーパーを製造し、次いで、ペーパーを真空乾燥器中で、95℃において15分間後処理するという方法(第9頁第1行ないし第15行)が記載されていることが認められる。右認定の事実によれば、引用例でいう「高重合体バインダーで固定した石綿」における「固定」という状態は、明示的には、後処理の一態様である加熱又は加熱・加圧処理を施す以前に備わつている状態を意味するものと解されるが、繊維状や粒状の形態の高重合体バインダーを使用する場合、熱可塑性樹脂に結合性を発揮させる手段としてはこれを加熱して溶融させるのが通常であると考えられること、引用例前掲甲第5号証中の「オレフイン酸化物製造の望ましい実行方法に応じて、隔膜を電解液に対し透過性に又は不透過性に造ることができる。これは公知の方法で、例えば多量の高重合体バインダーの使用かつあるいは前記加熱又は加熱・加圧処理により行うことができる。」(第5頁第6行ないし第11行)旨の記載及び前認定の引用例記載の発明の作用効果に関する記載並びに前認定の引用例記載の高重合体バインダーの多くが熱可塑性樹脂で溶融状体において粘着性を有するものであること、及び右に記載のポリフルオロ炭化水素が弗素系ポリマーの一種であること(このことは、当裁判所に顕著な事実である。)を総合すると、引用例記載の発明において、繊維状や粒状形態のバインダーを使用する場合には、「高重合体バインダー」を「石綿」に「固定」する手段として、加熱又は加熱・加圧して右高重合体バインダーを溶融させる手段を採用するものと推定することができる。そうすると、引用例には、高重合体バインダーで石綿繊維を「固定」する手段の一つとして、高重合体バインダーを加熱又は加熱・加圧して溶融し、右溶融したバインダーを介して石綿繊維と石綿繊維とを接着させて石綿を「固定」した構造の隔膜を示唆する記載があるものということができる。しかしながら、引用例においては、石綿の固定に高重合体バインダーの1つとして弗素系ポリマーであるポリフルオロ炭化水素(ポリフロロ炭化水素)を使用する場合の形態として、前認定のとおりラテツクス、分散体、溶液、ピグメントと併記して繊維が記載されているものの、固定方法については、前叙のとおり加熱又は加熱・加圧処理方法を推定し得るのみであつて、繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維との接触部分で溶融流動して石綿繊維の束をその交点において被覆して結合し、それによつて石綿繊維表面上に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆が形成されるという本願第1発明における隔膜の構造又は右構造を得る方法についての記載はもとよりこれらの点を示唆する何らの記載も見出だすことができない。被告は、この点について、引用例にいう「固定」と本願第1発明でいう「非連続的な溶融被覆」とは同じであるから、引用例には石綿繊維の表面上にこの繊維といつしよに結合している実質的に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な被覆を有している石綿繊維からなる隔膜(すなわち、本願第1発明における隔膜)を有する陰極(すなわち、本願第1発明)が実質的な意味において記載されている旨主張するが、右主張は前認定説示に照らし、採用することができない。

3  叙上認定説示したところによれば、本願第1発明と引用例記載の発明とは、いずれも隔膜についての発明であつて、高重合体のバインダーを用いて寸法安定性のある隔膜を得ることを目的とする点では同じであるが、引用例には石綿繊維を固定する高重合体バインダーとして弗素系ポリマーであるポリフルオロ炭化水素を含む数多くの樹脂が列挙され、また、該バインダーの使用形態として繊維状を含む数多くの形態が列挙されているものの、石綿繊維と繊維状の弗素系ポリマーとの接触部分で繊維状の弗素系ポリマーが石綿繊維を溶融被覆して結合し、石綿繊維表面上に繊維状の弗素系ポリマーの非連続的な溶融被覆が形成されているという本願第1発明における隔膜の構造を示唆する何らの記載もないから、本願第1発明と引用例記載の発明とはその技術的思想及び技術的構成を異にすることは明らかであり、しかも、本願第1発明の奏する前認定の顕著な作用効果を斟酌すれば、後記認定の周知の弗素系ポリマーの一般的特性及び慣用技術を考慮に入れても、本願第1発明は、引用例記載の発明に基づいて容易に発明をすることができたものとは到底認めることができない。被告は、弗素系ポリマーの一般的な特性は周知であり、樹脂バインダーを繊維の固着に使用するに際し、繊維内部に分散させて全体を加熱し、バインダーを繊維表面に融着させるという技術は慣用技術であり、電解用隔膜にあつて、弗素系ポリマーと石綿繊維からなる成形体を弗素系ポリマーが半溶融状態になる温度に加熱することは、乙第1号証に示されたとおり、既に知られた技術である旨、また、乙第2号証には、「繊維状接着剤を他の繊維に混ぜてウエブを形成し、これに加熱または膨潤剤処理を施してウエブを結合させる。ウエブ中のそれぞれの繊維の交点で接着され、また接着点が少ないため、このようにして得られた不織布は柔軟で多孔性である。」旨の記載があつて、繊維状接着剤の加熱処理が接着のための加熱処理、すなわち、少なくとも交点での部分的溶融を伴う加熱処理をも含むものであることが明らかであり、これらの事実を斟酌すれば、引用例から本願第1引用例を発明することは容易である旨主張する。しかしながら、乙第1号証(その成立に争いがない。)には、隔膜に関して、弗素含有樹脂を分散した液に無機繊維を浸漬し、無機繊維に樹脂を含浸させ、弗素系樹脂が隔膜の組織の下にシンターされるように樹脂の融点から100℃も高い温度で加熱することが記載されてはいるが、これは前認定のように本願発明における実質的に繊維状の弗素系ポリマーが石綿織維と接触した点で溶融流動し、非連続的溶融被覆を形成するのには十分であるが、石綿繊維表面全体にひろがつたポリマー被覆を形成することはないように加熱処理するものとは全く異なるものであり、右乙第1号証の記載から本願発明のような特別の条件下での加熱処理が一般的技術として普通に知られたものであるものとは認められないし、また、乙第2号証(その成立に争いがない。)には、被告主張の前記記載に続いて、「しかし、強度が弱いことや耐熱性の点で劣つている。」との記載があり、これらの記載からすれば、「ウエブの中のそれぞれの繊維が交点で接着され」とは、繊維ウエブを構成する繊維同士が繊維状接着剤の溶融により、その交点で接着されることをいうにすぎず、該繊維状接着剤が右交点以外の部分でなお繊維の形状で保持されているという接着態様、すなわち、被告の主張するような交点での部分的溶融を伴う加熱を明らかにしていると解することはできず、また、成立に争いのない乙第3号証及び第4号証によると、弗素系ポリマーの一般的な特性が周知であり、樹脂バインダーを繊維の固着に使用するに際し、繊維内部に分散させて全体を加熱し、バインダーを繊維表面に融着させるという技術が慣用技術であることを認めることができるけれども、右事実から本願第1発明の前認定の技術的思想及びその構成を想到し得るものということができないことは、前説示のとおりであり、したがつて、被告の前記主張は、いずれも採用することができない。

(結語)

3 以上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に、本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(武居二郎 清永利亮 川島貴志郎)

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